85.本(その6)

 コロナが発生して以降、テレビ映像が大きく変化した。今までは大勢が一か所に集まりワイワイガヤガヤやっていた。こうすることでにぎやかで華やかな様子を演出していた。それが一変、少人数でしかもアクリル板で仕切られたところでしゃべっている。スタジオにいる人間は必要最小限である。それ以外にゲストが必要になると、リモートでモニターでの出演となる。初期のモニターは黒く縁どられたモニターであった。まるで遺影がしゃべっているようで不気味であった。横にいる司会者と映像の大きさが不釣り合いで、内容以上に映像に気を取られたものである。それが数年たつと、スタジオにいるのと何ら変わらないくらい見事に馴染んだ。ニュースなどでは、番組中に多くのジャンルを取り扱うので、その都度別の専門家がモニターに現れる。一度にスタジオに専門家をそろえたり、CMの間にメンバーを入れ替えたりする手間がはぶける。見ている側は違和感なく見ることができる。今ではすっかりこの形式が定着しつつある。テレビ局も30分や1時間の出ずっぱりに比べると、スポットでの出演ということで出演料の節約にもなるのだろう。すっかり気に入っているように感じる。

 さて、ここからが本題である。モニターに出演する専門家といわれる人々についてである。職場(病院や大学の研究室)や自宅から出演する専門家についてである。ほとんどすべてといっていいくらいすべての人が同じことをしている。いろいろな分野の専門家が出演するにもかかわらず、全く同じ現象が起きているのである。それは映像の背景にある。見事に背景は書棚である。専門書(と思われる)がずらりと並べられ、ほとんど天井に達するくらい立派な書棚である。もっと大胆な場合だと部屋の角を背景にしている場合がある。これだと書棚が2面映ることになる。これでもかといった感じで蔵書を見せつけられる。その割には、喋っていることにあまり専門性を感じないことがある。大した内容ではないのである。本当にその蔵書を読んで、理解しているのかなと思ってしまう。喋る内容よりも蔵書に威厳を求めているような気がしないでもない。それくらいまだ本というものには威厳があるのである。スマホがすべてという現代人は、それを本に持ち替えた方がいいかもしれない。

 背景に書棚が映った瞬間に、“ああ、この専門家は大したことを言わないな”と思ってしまう。一人でもいいから、背景に森林や白銀の世界をプリントしたカーテンを掛けて出演してくれないだろうか。もうそれを見ただけで、この専門家は内容で勝負しようとしていることに感動し、聞き入ってしまうこと間違いなしである。専門家と名乗るのであれば、自分の能力に自信を持ち、他人を説得する話術に長けてもらいたいものである。いつまでも自分を大きく見せるための演出に書棚を用いている場合ではない。世間をそれほど甘く見ない方がいいと思うが・・・。

 読み終わった本はすべてブックオフである。内容を十分吸収した上で、1冊10~30円で買い取ってもらえる。マンガ本より安い値段ではあるが・・・。専門書ではないので、書棚に並べてみたところで大した威厳を感じることはない。金額で評価すれば、新書・小説よりマンガ本の方が威厳があるのである。