トントン

 植物は動かない。当たり前のことであるが、よくよく考えてみると大変なことである。動物は今いる環境が気にいらなければ移動する。そして少しでもいい環境で過ごそうとする。いい環境の条件はそれぞれの動物によって違うだろう。餌が豊富、気候がいい、天敵がいない等、である。しかし、植物はそのような条件を求めて移動できない。種が落ちて、発芽する条件が整えば発芽するし、整わなければ発芽しない。発芽したからといって、そこが成長していくための好条件とは限らない。たまたま発芽したが、成長するにはあまりにも厳しい場合もある。それでも植物は厳しい条件を乗り越えて精一杯成長を続ける。

 虫がやって来ても食べられないように、灰汁の強い葉をもっているものもある。また、葉を食べられれば、虫が嫌がるような物質(防御物質であるフェノール化合物)を出す場合もある。このようにして動けなくても、自分の身を守る方法をそれぞれの植物が身に付けている。これらは自然界で生きる植物たちであり、家庭菜園で育つ植物ではそれらの自己防衛能力は劣る。人間が食べるために、本来植物が持っているこれらの能力を極限まで抑え込んでいる場合が多い。そうすることによって味がよくなるからである。味がよくなれば、人間だけでなく鳥や虫にも都合がいい。菜園内には栽培している野菜のほかにも、多くの種類の雑草が生えている。しかし、鳥や虫の被害を受けるのは栽培している野菜ばかりである。彼らは雑草には目もくれない。誰に教わるわけでもないが、美味しいものはわかるのである。

 美味しいものでも、人間と鳥、虫では好みが違う。人間にとって全く美味しくはないものでも鳥や虫には美味しいものがある。鳥は人間に近いだけあって味覚も近い。虫はかなり遠いので味覚も遠い。トマトやイチゴを食べるのはわかるが、カボチャやキュウリの葉っぱはわからない。ちょっとだけわかりそうなのが、サツマイモのつるとピーマンの茎である。これらに鋭い針を刺して汁を吸うやつがいる。栄養分に加えてわずかな甘みがこたえられないのであろう。この代表格がカメムシである。これは1匹、2匹で行動するのではなく、びっくりするくらいの数で行動する場合がある。つるや枝に密集して樹液を吸いまくるのである。これらに狙われた植物たちはたまったものではない。地中から吸い上げた養分と光合成で作った養分で、成長に必要な物質を形成しようとしているが、それらをすべて横取りされてしまうのである。動物なら、さっさと移動するところであるが、植物はそれができない。じっとそこで耐えながら、栄養分を吸われても吸われても、生きるために努力をするのである。ここに発生したカメムシの数は尋常ではない。ピーマンの木は葉をうなだれて、今にも枯れそうになりながらも成長を続けているが、実はできない。本来、実へいくべき栄養をかすめ取られてしまっているのであろう。ようやくわずかについた実も、タバコガの幼虫に穴をあけられる。最終的には、カメムシのいなくなる秋ごろにようやく実を付けだした。食用に改良されたピーマンではあるが、子孫を残そうとする執念の勝利である。その大事な作物を菜園主がかすめ取ってしまうのであるからたまったものではない。ピーマンからすればどっちも同じ?

 小さな家庭菜園ではあるが、常に野菜、雑草、微生物、虫、鳥、人間が複雑に絡み合いながら、単純な結果が生み出されている。これらのバランスが崩れることで、得をするものと損をするものがはっきりとする。最も得をし続ける可能性のあるのは人間である。ただし、そのためには強力な武器(農薬)を使用しなければならない。それよりも、得をしたり損をしたりするのが、最もバランスのいい生態系ではないかと思っている。とはいえ、今年のミニトマトは家庭菜園を始めて以来の不作であった。半分程度がタバコガの幼虫に穴をあけられてしまった。ところが、ガッカリする間もなく、糖度11%のスイカの豊作に心を躍らせた。いいこともあれば悪いこともある。人生と同じで平均すればトントンになるようにできている。山や谷だけを見るのではなく、平均で見ることが大事なのを気付かされる。何事も長い目で見ることが重要である。

<整列!>

 

<ピーマンの茎が見えません>