17.富士山ヒルクライム(2018年)

<その1>

 ヒルクライムの季節がやってくるはるか前から今年の予定を立てる。さて、どこにエントリーしようか? ヒルクライムの距離や斜度はおおよそどこも似たようなものである。わずか2年間の実績ではあるが、どこを上っても完走できるだけの自信が持てるようになった。参加するうえでの最も大きな要素は宿泊施設である。乗鞍では宿泊施設を探すのに困難を極めた。富士山は宿泊施設は多いが、参加人数がけた外れに多いので、やはりここもホテルの確保が難しい。色々と迷ったが、去年の経験から再度富士山ヒルクライム(以下、富士ヒルという)に決定した。年明け早々の1月初旬に宿泊施設を確保した。エントリーの開始が3月1日からであるから、2か月のフライングである。これぐらい早くしないといい宿泊施設が確保できない。これでもやや出遅れ気味であった。去年よりはややいい環境の宿泊施設を確保できたので、あとは本番に向けて例年通り地道にトレーニングに励むことになる。

 歳とともに体力の衰えが身にしみる。それを自覚できるところがつらい。見栄を張ってでもいいから、まだまだ若いものには負けん、と言ってみたい。その衰えをカバーするために、スポーツクラブでのエアロバイクを強化してきたが、さて結果はどうであろうか。比較のために六甲山ヒルクライムを実施した。結果は去年の実績をやや下回るところとなった。週5日のエアロバイクで、去年以上に負荷をかけてきた。それでも体力向上どころか、維持すら難しい。体力以上に精神力の衰えを感じる。何が何でもやりぬくという気迫に欠ける。「きっついなぁー!」「もう、このくらいでええのんちゃうん」「まだまだ先が長いなー」などと常に否定的な表現しか出てこない。六甲山ヒルクライムで痛切に感じた“根性”であるが、最近は影が薄く軟弱になりつつある。

 去年の富士ヒルは、集合からスタートまで2時間待たされた。下山用の冬服を預ける最終便が朝の6時である。スタートは7時から順次行われるが、自己申告時間(完走時間)が遅い組はそこからずっと後ろになる。去年は7時50分であった。この2時間がとてつもなく長いので時間をつぶすのに苦労した。朝は3時起きであるから寝不足も応える。いろいろと不満や意見が多く出たのであろう。今年は下山用の冬服の預かりを前日にも行うことになった。エントリーが前日であるから、そのときに荷物を預けておけばいいのである。そうすることで、スタート直前に会場入りすればいいことになる。これで2時間余分に寝ることができる。これでゆっくりと寝酒ができ、しかも睡眠時間が長くとれるということで、酔いもいくらか覚めた状態で参加することができる。非常にありがたいことづくめである。本来ならばこれで一気に完走時間を短縮できるところであるが、いかんせん年齢による体力の低下は何ともしがたい。

 


<富士急ハイランド駅で下車しエントリー会場へ>

 

<全参加者の氏名が記載されたボード>

 

<エントリー会場、前日は好天であった>

 

<その2>

 ゆっくりと睡眠をとり、気持ちのいい寝覚めである。一度参加しているだけに、会場までの距離や時間は十分に把握している。余裕を持っての会場入りである。去年の反省点としては、6月上旬の富士山はまだまだ寒いということである。坂を必死になって走り、汗でびっしょりになるのであるが、北斜面の日陰に入ると寒気がしてくるのである。腕が寒さで震えるくらいになる。この失敗はどうしても避けなければならない。アームウオーマーをして走ることにした。脚はさすがに動かし続けているので、寒さを感じることはない。

 スタート30分前には十分な水分とエネルギー補給を行い、これから始まる2時間弱のハードなヒルクライムに耐えうるだけの準備をする。この時ばかりは、減量を無視したものを口にする。スポーツ飲料と、ゼリー状のエネチャージである。それに羊かんとはちみつ。これでカロリーとしては十分にゴールまで持つはずである。が、どうも食欲がわかない。スポーツ飲料とゼリー状のエネチャージのみを口にした。

 今回は正直に走破タイムを申告したので、周りは自分と同じような速度の人が多い。これはかなり楽である。わずかに早い人を見つけ、その後ろに付いてペースを安定させると同時に風よけになってもらう。周りがあまり早くないだけに、ちょっと頑張ると数人を抜いていける。これは結構元気が出る。苦しそうに走っている人を抜き去るというのは、性格が悪いように見えるが気持ちがいいものである。去年なら、10~20分あとからスタートした人に追い抜かれることが多かった(ゼッケン番号でスタート時間がわかる)。今年はそのようなことが少ないはずであったが、どうも様子がおかしい。スタートしてすぐに脚に疲労感が出てきた。サイクルコンピュータで距離を確認すると1.2kmしか走っていない。残りはまだ23kmもある。先が思いやられる。富士ヒルは最初の5kmがかなり急勾配になっている。ここをどうにか乗り切ればなんとかなる。自分をだましだましどうにかここを乗り切った。6kmを経過したころから調子が出てきた。脚の疲労感は残ったままであるが、しばらくは何とか順調に走り続けることができた。15kmを過ぎたあたりから、脚だけではなく、尻、腰、腕、首が痛み出した。去年に比べると痛む個所が増えた。痛みを我慢しながらどうにか20km地点まで来た。あとは平坦なところが3kmくらい続いたあとゴール前の坂になる。最後の力を振り絞りダンシングでゴールを目指すが、思ったほどスピードが出ない。スタート直後の不調を挽回できず、去年より2分遅れの1時間53分でのゴールとなった。

 

<早朝からローラでウオーミングアップ>

 

<霧の中、スタート地点へ>

 

 

<スタートゲートは霧の中>

 

<着替えて下山へ>

 

<その3>

 ゴール後は冬用ウエアに着替え一気に下山である。天気予報では、台風が梅雨前線を刺激しているため午後から大雨の予報が出ている。ゴールまでは霧のみで雨には合わずにこられた。あとはなによりも早く下山をしたい。焦りながら下山の列に向かうが渋滞で動かない。下山待ちの列で1時間、ようやく下山である。上りのときよりも霧が深く、最も濃いところでは20m先がやっと認識できる程度なので怖くてスピードが出せない。とろとろとした下山である。2合目まで下山してきたところで雨が降り出した。徐々にその雨が激しくなり、1合目ではかなりの雨量となった。ますます怖くてスピードが出せない。ウインドブレーカーを着ていても、ヘルメットを伝って雨が入ってくる。ブルブルと震えながらの下山である。1時間かけてようやく会場に着いたころには全身びしょ濡れである。

 会場では「吉田のうどん」がふるまわれていた。「吉田うどん」ではなく「吉田のうどん」なのである。なぜ「の」が付くのか不思議でかつ、違和感があるのであるが、これはどうしようもないとあきらめることにした。味はともかくとして、暖かいのが何よりうれしい。体が温まり手の凍えも解消したのでホテルへ向かうことにした。ここからホテルまで4kmを雨に打たれながら走ることになる。ヒルクライムは自然が相手であるということをしっかりと認識させられた。大自然の中に作った道路を走っているので、ついうっかりとそのことを忘れてしまう。

 ホテルへ戻ると、さっさと輪行袋へロードバイクをしまい込み、宅急便で自宅へ送り返す。これで送ると翌日には自宅へ到着している。本人が家に帰り着くよりも早くロードバイクが帰っているのである。宅急便を出した後は、富士山駅から大月経由で八王子まで行く。そこから中央線で吉祥寺へ。今年はここのハモニカ(ハーモニカではない)横丁で美味しいビールを飲むことにした。吉祥寺に付いたころには富士吉田は豪雨になっていた。井の頭に半年住んでいたので、吉祥寺はなじみの深い街である。井の頭公園をぶらぶらと散歩しながら吉祥寺へ行くことが多かった。ハモニカ横丁は、狭い通路にぎっしりと小さな店が並んでいる。数人が入ると満席といった店が多い。細い路地をうろうろしながら、美味しいものを食べられそうな店に入店。毎回のことであるが、ヒルクライムの後はビールが最高に旨い。結果がよくても悪くても、完走したということがいいつまみになる。この店は佐助豚を使ったメニューが多い。中でも佐助豚のパテは抜群に旨い。さらにビールが進む。“きの子達のアンチョビバター炒め”は体によさそうなので追加注文した。ニンニクがたっぷりと入っており、今日の疲れが吹っ飛びそうな気にさせてくれる。今日の疲れは今日のうちに取っておくに越したことはない。この店で何よりもありがたいのは、ビールの種類が多いことである。メニューに載っているものを片っ端からやっつけていくが、途中で力尽き全制覇はできなかった。途中リタイヤである。ヒルクライムの疲れが徐々に出だし、そろそろ撤収のころ合いとなった。しかし、吉祥寺の夜は長いのである。ちょっと散歩で酔い覚ましをしながら、コンビニで寝酒の準備を忘れずにする。

<名物:吉田のうどん>

 

<ハモニカ横丁1>

 

<ハモニカ横丁2>

 

<その4>

 ホテルへ戻り、一息ついたときに名案が浮かんだ。それは洗濯である。ヒルクライムの上りで夏用ウエアは汗でびしょ濡れ、冬用ウエアは下山の雨でびしょ濡れとなった。この重さが半端ではないのである。特に冬用のウエアは厚みがあるので含んでいる水分も相当なものである。これを持って翌日も歩くと思うとぞっとする。そこでコインランドリーを使用して、軽くしてしまうのである。洗濯と乾燥でたっぷりと2時間かかった。この間ずっと寝酒の継続である。眠たくなる目を必死で開けながらの待機である。ウエアは十分に軽くなったが、それと同じくらい体重が増えたのではないかと思われる。

 翌日は府中へ出て、大きく変わった街並みを見ながら大國魂神社方面へ歩いてみた。ここは10年ちょっと住んでいたので土地勘は十分にある。相変わらず大欅は見ごたえがある。これらが新芽をふきだすときの生命力はものすごい迫力である。それとは逆に、冬支度で葉を一斉に色付かせ散るときには、生命のものがなしさを感じさせる。この変化を何度も見てきたので、より一層感慨深いものがある。その後は京王線を途中下車しながら懐かしい街並みを堪能した。明大前で乗り換え下北沢へ。相変わらずここはいつ来てもごちゃごちゃしている。雨の中を歩くのに苦労する。早々と渋谷経由で品川へ。ここからは新幹線である。

 ヒルクライム当日は、ホテルを出るときから霧、スタート前も霧、上っている間中霧、ゴールも霧、下山中も霧、ホテルへ戻っても霧、とにかく1日中霧の中にいた。去年しっかりと富士ヒル全体を見ているので、スタート地点からゴールまでの景色が分かっているが、今年だけだと全く何もわからない。ただただ霧の中の一本道をひたすら走っているだけである。周りの景色は何も見えない。しっかりと見通しているつもりの人生も、実はほんの目先のことだけしか見えていないのかもしれない。

 今回のヒルクライムは、歳を取るという現実を実感させてくれた。きつい練習や減量と闘いながらも、記録が落ちるという結果を経験した。若いころなら何をやっても努力さえすればどんどん伸びる。そのような伸び盛りのころと、今のように下り坂を転がっているときでは明らかに違うものを感じる。とはいっても、これをやらなければ、もっと体力も気力も衰えるだろう。これからは時間という記録を追い求めるのではなく、まだ走ることができるという喜びを求めるのがいいのかもしれない。人間ドックよりも、富士ヒルドックの方が健康管理には適していると思いたい。去年より2分遅いタイムになったということは、人間ドックでいえば、γ-GTPの数値が若干高くなったので、しばらく酒を少しだけ控えようか、という程度か? それとも、老眼が若干強くなった程度か? その程度のものと理解すればいいのではないだろうか。いつまで続くかわからないが、もうしばらくはちょい悪オヤジでいたい。

 

<大國魂神社>

 

<大欅>

 

<下北沢>

 


<ウエアラブル端末データ>