69.適量
どのようなものにも適量というものがある。そのもの自体が最もいい状態になる量のことである。そして、その適量に関しては、「満杯」「ほどほど」「少量」と、それぞれの持つ特性のようなものが関係してくる。このような表現では、何のことやらさっぱりわからないという声も聞こえてきそうである。そこで、これらについて具体的な例を示してその適量を書いてみたい。
まず最初に、「満杯」についてである。これは酒飲みには必ずといっていいくらい当てはまるのが、角打ちでの酒の注ぎ方である。小さなグラスに冷酒をあふれんばかりに注ぐ。場合によっては受け皿にあふれさせる場合もある。それくらい満杯に注いでもらいたい。計量すればたいした量ではないのであるが・・・。ふつうのグラスに注げば、なーんだこの程度か、という程度の量なのである。ふつうのグラスに8分目というよりは、小さなコップに山盛り(表面張力分)といった方が、気分が盛り上がるのである。旅館の風呂もそうである。首までつかったときに、体の容積分の湯が流れ出る音を聞くのは最高に気分がいい。これだけでは物足りず、思いっきり息を吸い込んで肺を膨らませ、さらにその分をあふれさせる。至福の喜びを感じる瞬間である。ホテルのユニットバスではこうはいかない。一定量の湯が入ると後は排水用の穴からどんどん出て行ってしまう。
続いて「ほどほど」である。これはほとんどのものがそうであるように思うが、あえて例を挙げるとすれば、「割り箸」「爪楊枝」「綿棒」である。これらは、入れ物に対してあまりにも量が少ないと、選択の湯地がなく寂しい気持ちになる。しかし、そうかといって満杯になると、まったくつかめなくなってしまう。食事をするため割り箸を取ろうとするのであるが、上からではつかむところがない。横から割り箸を取ろうとするのであるが、指が引っかからない。無理に引き抜くと手が滑り、割り箸で手を切りそうになる。食事が終われば爪楊枝のお世話になる。割りばし同様にキチキチに詰まった爪楊枝は抜くことができない。どうにか爪楊枝の上部の溝に爪を引っ掛けて取り出す。もっと最悪なのは綿棒である。割り箸や爪楊枝は上から攻めることができなければ、サイドから攻めることができた。しかし綿棒はすっぽりとケースに入っており上からしか攻められない。爪が短いのでさらに困難を極める。これはもう嫌がらせとしか思えない。
最後に「少量」である。これは料理である。大きな器にほんの少量の料理が盛ってある。見るからに上品である。食べる前から、目が料理を味わっているような気になってしまう。もう、それだけで旨さがわかってしまう。まして、器の色や形が料理とぴたりと合っていればなおさらである。よく丼物でカツや鮮魚を山盛りに乗せたものを見かけるが、これは見ただけでげんなりしてしまう。料理に“美“を感じないのである。量があればいいだろう、くらいにしか見えない。
このようにそれぞれが持つ特性で、それぞれに適した量というものがある。これを間違えると、せっかくのいいものが台無しになってしまう。これは人間にはまったく当てはまらない。器量、技量等、は大きいに越したことはないが、どうも小さい人が多すぎる。大きな器に中身が少ないのではなく、おそらく器が小さすぎるのであろう。当然そこに精一杯入れたところでたかが知れている。あとは角打ちの酒と同じく、それ以上は溢れるばかりである。