49.嫌いなもの(その2)

  前回に続き嫌いなものについてである。食べ物単体で嫌いなものはない。その置かれた状態が納得できないのである。美味しい物を美味しい状態で食べられないようにしているところが気に入らないのである。第二弾は、丼物である。

 代表的なものは天丼である。丼に入れたご飯の上にエビを筆頭に魚や野菜の天ぷらが乗せられている。そこに甘辛いツユをたっぷりと回し掛ける。ごはんに掛かったタレのかかり具合は均一ではない。したがって、これを均一にしようと混ぜたいのであるが、たっぷりと乗った天ぷらがそれを許さない。仕方なく、食べたい天ぷらを一口食べ、それを他の天ぷらの上においてご飯を食べる。この時タレのかかり具合の悪いところであるとがっかりとする。ごはんに穴を掘るようにして、両サイドに広げてタレのかかったところを食べる。次の一口は他の天ぷらを食べようとするが、先ほどの天ぷらの下になっているので、これを移動させなければならない。しかし、丼の上はそれほど余裕のある状態ではない。しょうがないので、食べかけた天ぷらを先に食べてしまうことになる。天ぷら同士が重なっているので、自分の好みとは関係なく、上から順番に食べることになる。このあたりの、自分の意思に反する順位付けも気に入らないところである。親子丼もあまり好きではない。しかし、オムレツは好きである。したがって、オムレツをおかずにご飯を食べるのは何の問題もなく好きである。かつ丼、うな重も同じく好きではない。しかし、単体ではすべて大好きなのであるが・・・・。わかりやすい例でいくと、すき焼きはいいが、牛丼はダメである。

 さらに、見た目の美しさに欠ける点が気に入らない。料理というものは、大きめの器にゆったりと盛り、空白の余裕が心の余裕を生み、美味さを助長するのである。小さな丼の上に大量に盛り付け、行き場がなくなれば上へと積み上げる。これは決して美しいものではない。日本料理には、それぞれの一品に対して、それにふさわしい器がある。にもかかわらず、すべてを一つの器で間に合わせようとするところに問題がある。料理というのは、見た目、匂い、味わい、料理人の感性、店の雰囲気等、が密接に関係する。いくら美味しいものでも、プラスチックや発泡スチロールの器で出てきたのでは幻滅である。大間の生マグロを、スーパーで売られている発泡スチロールの容器のままだされたらがっかりするのと同じである。

 ここまで書いてきてなぜ、丼物が好きになれないのかがわかってきた。一つの丼にすべてのおかずを盛りつけ、料理として完成させてしまっていることが気に入らないのである。いくら高級な食材を使い、美味しい味付けをしてもダメである。見た目が犬のエサのようにしか見えないのである。と言いつつも、カレーライスと麻婆(豆腐)丼は問題なく受け入れられるから不思議である。