29.火鉢

 物置を片付けていると、何やら金属製(真鍮)の桶のようなものが出てきた。かなりの重さがあり、ほこりをかぶってはいるが一見して火鉢であることがわかった。今どき、火鉢で暖をとることもないので処分を考えていた。しかし、処分するにも費用が掛かる。それではということで、ゴミ箱代わりに使用していた。

 さらに数か月後、物置から紙袋に入った炭が出てきた。備長炭とまではいかないが、そこそこ立派な菊炭である。木を燃やして、消壺に入れてできたような炭とはレベルが違う。ここまで役者がそろうと、火鉢で暖をとってみたくなるものである。しかし、ここからが大変なのである。火鉢といっても、肝心なものが入っていないのである。灰である。金属製の火鉢に直接炭を入れることはできない。火鉢が熱を持ちすぎることもあるが、炭の火力を調節できないからである。炭は熱くなりすぎると灰を被せて、周囲への放熱をやわらげることができる。決して消えることはなく火持ちもよくなる。そのためには、灰を手に入れなければならない。一昔前なら、一斗缶に穴をあけ、そこで木をどんどん燃やせばすぐにできたものである。しかし今では、ダイオキシンが発生する、煤が洗濯物に付く、煙が臭いと、クレームが来ること間違いなしである。そう簡単に物を燃やせない時代である。直径がわずか25cm程度の小さな火鉢に必要な灰すら手に入れることができないのである。今の環境では、とてもこの火鉢で使用する量は確保できない。藁灰が最も理想であるが、わが家で収穫した麦わらを燃やすことは確実に不可能である。麦わらは大きな炎が上がるので、ほんの少量を燃やしてもものすごい炎が出る。それと同時に煙がどっと出る。

 そんな悩みを一瞬にして解決してくれる行事があった。それは、正月に飾るしめ縄を焼く“とんと(どんど)焼き”である。1月15日の朝、近所の神社で焚火が始まる。そこへ人々がしめ縄や門松を持ち込んで焼く。そしてその灰を持ち帰り家の周囲に撒くと魔除けになるという。わが家の貧弱なしめ縄を持って神社へ行く。これでは完全に燃え切ってしまうと、吹けば飛ぶような量の灰しかできない。ありがたいことに、そこには大量の灰ができていたので、持って行ったしめ縄の数百倍、いやそれ以上あるかもしれない量の灰をバケツに入れて持ち帰った。炭が混ざっていたので、それが完全に冷えるまでに数時間を要した。その灰をふるいで振るって、きめの細かい最適な灰にした。ふるいの上には燃え残りの炭や小石が混ざっていた。びっくりするのは針金等の金属が意外に多かったことである。灰の入った火鉢は格段に存在感を増した。早速、カセットコンロに網を乗せ、炭を数個乗せて火をつけた。パチパチと音を立てながら炭に火が付く。その炭を火鉢に入れ、灰を被せて一気に燃えてしまわないようにする。じんわりとした炭独特の温かさが伝わってくる。すぐに火鉢本体にも熱が伝わる。火鉢の上に手をかざすのもいいし、周りの金属を触って暖をとるのもいい。エアコンやストーブでは味わえない温かさである。子供の頃に股火鉢をして怒られた記憶がよみがえってくる。この大きさでは股火鉢は無理であるが、心から温まる暖かさはそのまま記憶をよみがえらせてくれる。今はアトリエの机の下に入れている。足全体が温もり、すばらしい暖房器具となっている。

 暖かさをじっくりと味わった、いやというほど味わった。しかし、炭はまだまだ宴たけなわといった感じである。赤々として「このままあと数時間は頑張れますよ」、と訴えているように見える。これ以上はこちらが付き合い切れない。一旦ここで役目を終えてもらわなければならない。地中に埋めた素焼きの植木鉢に炭を入れ、金属の蓋をして炭を消す。これでまた再利用が可能である。手間暇はかかるが、火鉢でとる暖も風流なものである、と思える心の余裕が嬉しい。