125.ギャンブル(その2)
先日待ち合わせで某駅へ行った時のことである。中途半端な時間の余裕ができた。喫茶店に入るには時間が足りないし、かといって駅前でじっと立っているには長すぎる。ちょうどいい具合に本屋があったので入ってみた。雑誌や週刊誌を置いてあるあたりは立ち読みの人だかりである。主婦や高年者ばかりである。一緒にされるのが嫌なので店を出た。しかし、まだ時間がある。パチンコ屋が目に入った。もう、20年以上やっていないだろう。する気はなかったが、ちょっと興味がわいたので入ってみた。するとびっくりするような光景にあたりを見回した。どの列もどの列もほとんどが高齢者である。どう見ても年金生活者である。特に女性が多い。いったいどうなっているのか? とてもギャンブルをするようなゆとりのある高齢者には見えない。ただ黙々と球を打っている。駅前にこんな世界が広がっているとは思いもよらなかった。しばし呆然とその光景を眺めていた。最近のパチンコは昔と違って1,000円程度で遊べる娯楽ではない。おそらく数万円単位の出費であろう。たまに勝ったとしても負ける金額は相当なものだろう。
パチンコ店のショックが頭の片隅にある数日後、またまた恐ろしい光景を目にすることとなった。私鉄に乗っていたとき、某駅に着くと、今まで結構混んでいた車内が一気に空いた。降りるのはほとんどが高齢者である。決して老人ホームのイベントがあるわけではない。多くの人がスポーツ新聞や専門誌を持っている。そう、競馬場である。またまた興味がわいてきたので、急きょ下車することにした。長い通路を通り競馬場の正門まで来た。開催日ということで入場料を200円取られた。開催日でなければ無料だという。この違いがよくわからない。施設利用料なら開催日も未開催日も変わりがないはずである。まさか、走っている馬を見ることで金をとられるというのだろうか。すっきりとしないが、これでもめていては先へ進めない。いずれこの件ははっきりとさせるとしよう。中へ入って驚いたのは、ここでも主役を務めるのは高齢者である。ここはパチンコ屋と違って男性がほとんどである。それにしても高齢者が多い。ここも年金生活者と思われる人ばかりである。パチンコと違ってここはわずかな所持金で遊べる。極端なことを言えば、入場料だけで、1日中馬が走るのを見ていてもいい。芝生で寝ていてもいい。馬券を100円だけ買って競馬を見ていてもいい。こちらはパチンコと違って、低金額で楽しめる。1日に12レースあるので100円ずつ買っても1,200円で済む。パチンコに比べれば非常に安上がりなギャンブルである。パチンコは毎日やっているが、競馬は土日だけの開催である。地方競馬にも手を出せば別であるが・・・。
ひょっとすると、平日はパチンコ、土日は競馬というようなことはないだろうか。ハラハラドキドキしながら、命の次に大事なお金を賭けてスリルを味わう。残り少ない人生を最大限に謳歌しようというのか? ほかにすることが見いだせないのだろうか? 単なるボケ防止のためならちょっと間違っているような気がするが・・・。それとも、もうその判断ができないほどぼけてしまったのだろうか? パチンコに競馬、日本は高齢者の年金で経済が成り立っているのではないかと考えさせられてしまう。