75.信号機
今から10年くらい前にLED電球が売り出された。省電力・長寿命が売りであるが、価格は数千円した。とても家中の電球を交換することはできなかった。あれから10年、性能はそのままで価格は5分の1程度になった。こうなれば使わない理由が見当たらない。次々と家の中はLEDに代わっていった。以前のように電球の寿命が近づくと、暗くなったり、蛍光灯の端が黒ずんだりすることはなくなった。もちろん電球の交換も皆無である(注1)。非常に快適になった。生活に密着したところにLED電球が多く使われるようになった。それほど身近に感じているLED電球であるが、どうしても違和感をぬぐえない使い方がある。踏切に設置されている警報器は、以前のような平面ではなく、全方向から見えるように提灯のように筒形になっている。若干の違和感はあるが、安全のためにはこの方がいいだろうと納得できる。使用方法に関しては全く以前と同じであるにもかかわらず、どうしてもなじめないのが信号機である。LED電球を使うことで、省電力もさることながら、長寿命であることからメンテナンスにかかる費用や労力、安全性は数段上がったものと思われる。非常に有効な使い方であることは認めるのであるが、どうしてもその形状に納得がいかない。あまりにも薄っぺらいのである。重厚感がない。交差点の上にちょっと大きめの弁当箱を置き、そこへLED電球を並べたようにしか見えない。以前の信号機といえば、いかにも「赤になったから止まれ!」「青にしてやったから渡れ!」「黄色でちょこちょこ渡るな!」、といった威厳があった。こちらを睨みつけているようで怖さを感じた。そのような威厳がLED信号機にはない。「赤になったので、止まりましょう」「青にしたので、もしよろしければ渡ってください」「黄色になりましたよ。危険ですから渡らないようにしましょうね。責任持てませんよー」程度の感じしか受けない。
LED電球を使用することで、軽量・小型化ができ製作費用も安くできるのだろう。そこは十分理解できるが、できることならもう少し威厳のある形状というものを考えてもらいたかった。信号機の威厳は形や電球の種類ではく、赤・黄・青という色にある、ということはわかりすぎるくらいわかっている。それでもあえて形にこだわりたい。それだけ信号機というものは形が重要だと思っている。人間に対しても同じようなことが言えると思う。「人は見た目が9割」という本もある。信号機は見た目が10割である。
決してLED信号機を軽んじているわけではないが・・・。再度気を引き締めて、法令遵守! これを肝に銘じたい。たとえLEDでも、赤は赤、青は青、黄色は黄色なのである。でも・・・・。
注1:先日、某メーカーのLED蛍光灯が点かなくなった。取り外してみたところ、LEDが無数に取り付けられている樹脂板が熱で一部溶けていた。熱を出さないので消費電力が少ないというのが長所でありながら、相当な熱を発生していたのである。点灯しなくなったので気が付いたが、そのままでは発火したかもしれない。LED器具といえども過信は禁物である。後日、メーカーに着払いで現物を送り、今後の検討材料にしてもらおうと連絡したが、「不要です。廃棄してください」とのことであった。もう、検討材料が豊富に集まっているのかな?