63.クールビズ

 クールビズが始まって15年以上経つだろう。今や死語となりつつある。冷房の使い過ぎによる電力の節約ということで、「ノーネクタイ」「ノー上着(ジャケット)」を官主導で行ってきた。しかし、これほど滑稽な服装はない。もともとスーツというのは上下が一対となり、その下にはY‐シャツを着、ネクタイを締める。靴・ベルトはスーツに合わせた黒か茶。当然、靴下もそれと同系色で、すね毛が隠れる長さが常識である。その完成されたものの一部を省略して、正装にしようとするところに無理がある。暑さを感じる部分は人それぞれである。足が熱いからビーチサンダルにします、ズボンをやめます(もちろん、ズボン下は履いている)、ではおかしいと思う。要するに、見た目で許容範囲にあるものについては、止めましょうということなのである。

 ただでさえセンスの悪いサラリーマンが、上着とネクタイを外せば、これはもう何者か判断が付かない状態になる。現状では、この変な格好をしているのがサラリーマンで、昔ながらの正統な服装をしている人間が怪しまれる、といった感じになっている。サラリーマンの正装をここまで崩して、その一部を残す必要があるのだろうか。どう見ても上下揃いのスーツのズボンだけというのはいただけない。このようなセンスをしているから、2組購入したスーツを4通りに着るのである。スーツは一見するだけでわかるので、絶対に上下をばらして着ないことである。このようなセンスのない人は、ジャケットの購入をお勧めする。とは言っても、恐らく、とんでもない配色で組み合わせるのであろう。それを考えるとスーツのほうがまだましか・・・。着ている方も、見ている方も気にならないのだから。ようやくまともなサラリーマンを見かけたと思ったら、履いている靴下がショートソックス(くるぶしの下までの長さ)の白。電車の座席に座った姿がなんともみっともない。これでは仕事のセンスを疑われてもしょうがない。決していい仕事ができるとは思えない。

 京都祇園の芸子が「クールビズどすえ」と言って、浴衣にビーチサンダルで現れればどうなるか。旦那衆は撤退、観光客も激減だろう。消防士がクールビズだといって半袖のシャツになったらどうだろう。火事現場でやけどをするので、これ以上近づけないといって、はるか離れたところから放水されても困りものである。服装には機能性と同時に職業に対するプライドが伴う。自分の仕事に自信を持ち、身を引き締める役割もあると思っている。

 クールビズが始まったころは、6月から9月末までの4か月程度ではなかっただろうか。それがいつの間にか、5月から10月末までになった。なんと半年間である。もうこれはクールビズとは言っておれない。そう思っていたら、最近では真冬でもノーネクタイである。要するに、サラリーマンの制服からネクタイは消えてしまったのである。そればかりか、正装であるスーツの下に、カジュアルな服であるボタンダウンを着ている。恐ろしいばかりのアンバランスな格好である。なんとも中途半端なものに慣らされたものである。今までの「正装=スーツ」という服装に対する概念を一旦リセットし、再度構築し直したらどうだろうか。そうしなければ、この不思議な格好は歴史に残るかもしれない。

 とはいいつつも、この変な恰好に慣らされ、最近では違和感を持たなくなった自分に驚きとあきらめを感じる。もう、ネクタイは歴史の教科書でしか見ることができなくなるかもしれない。